魔女旅に出る

エアコンのお掃除と金魚。


今日は暑い中、旦那と2人で自宅のエアコン2台の掃除をしました。

脚立に乗り、フィルターを取って、ドライバーでネジをゆるめカバーを外すのは私の仕事。
旦那には埃っぽいフィルターやカバーを洗ってもらいました。
そして、エアコン用の大きなビニール袋で養成し、中性洗剤をふりかけ、五分放置した後に噴射器で水を当てながら娘のお古の歯ブラシでひたすらファンを擦りつづけました。

擦るのは結構しんどいので、噴射器役と歯ブラシ役を休み休みかわりばんこで掃除しました。

ファンが相当汚れていて、出るわ出るわ。真黒な汚水が…

フィルターは夏と冬の時期、一週間〜二週間に一度は洗っていますが、掃除自体は半年以上ぶりです。
今後は三カ月に一度は頑張りたいなぁ…

仕上げはエタノールスプレーをたっぷりと吹き付けてキッチンペーパーで内部に残った水や汚れを磨き上げて、カバーやフィルターをつけてネジを締めてお終いです。
2台分だから随分とくたびれました。

心なしか、エアコンの近くで泳いでいる金魚さんも嬉しそうです。

これさぁダ○キンに掃除頼んだら2台で3万はしたかもね。3万も節約した〜。なんて阿保なことを言いながら、自己満足とは幸せなことだなぁと思いました。

夏休みに入れば夏菊の出荷が始まりグロッキー状態にもなると思いますが、この夏はみっちりと遊びたいなぁ。

真鍮のお手入れと宝物たち。


久しぶりに真鍮のピアスのお手入れをしました。

ビフォーアフターが無いのでわかりづらいですが、これでもかなり綺麗になりました。

真鍮は錆びやすいですが、酢水に10分つけて重曹をふりかけて磨けば綺麗になります。

磨いても磨いても黒い斑点みたいなのが取れないけれど、これはもう無理なのかなぁ。(しかも磨きすぎてフックが壊れた。涙)

ハートの方は娘にいずれあげる約束をしているので、それまで大事に使わないと〜。



チラッ。

この小物入れは阿蘇神社の近くのetuさんで購入したものですが、大のお気に入りです。

テリアちゃん、なんて可愛いのー。



お洒落なetuさん。
お馬は100円で動くよ。



どれもこれも可愛すぎて、1時間くらい選んでいた気がします。

お手頃な価格だし、最高にチャーミングなオーナーさんでした。

氷が溶けたようなガラスのお皿と小さなチューリップの絵皿はお菓子を出すのにぴったり。



この女の子は化粧台に飾っています。


ビーズのポーチはちょっとその辺まで行くときのお財布にしていますが本当に使いやすくて可愛い。

とでも小さいので、荷物の多い私は重宝しています。

ビーズものは昔から大好きでひっそりと集めています。

小さい頃に母が作ってくれた星座のモチーフのビーズのバッジ、可愛かったなぁ。



こちらは大牟田のザンメルンさんで購入したアンティークのもの。

私の一生の宝物。


眺めているだけで美しくて満たされますが非常にデリケートなものなので、実用性はありません。

ああ可愛い。


島は暑く必要な時以外は外出する気が起こらないので、掃除、整理整頓、宝物のメンテナンス
に励もうと思います。

気分が上がる音楽がほしいな。

嗚呼 素晴らしき小籠包

近頃島は蜃気楼が見えるほどに暑く、

部屋の中で冷たい風にあたっていると

横浜で食べた小籠包をまた食べたい…と、

そんなことばかり考えて現実逃避してしまいます。

常においしいものが口の中に入っていたらどんなに幸せなことだろう〜。



高島屋の鼎泰豊。


どれもこれも美味しかったけど、やっぱり小籠包は格別だった。

二回目に行った時に食べた、ずわい蟹、雲丹、ほたての三種盛りも美味しいよ!

妹が食べていた中華風の冷麺のようなものも。
奄美の鶏飯スープを冷たくしたような、無色透明のあっさりとした鶏がらスープがとっても美味しかった。



↑は娘の。
子供用だけどボリュームたっぷりでした。
肉まんかあんまんか選べます。

お店は超満員。お待たせ番号?の記入された紙を発券してから90分ほど待ちました。
家族はその間高島屋でお買い物をして時間を潰していました。

私は椅子に座り娘とぼんやりしていたところ、隣にいた御婦人(横須賀から娘さん二人と来たらしく、私と同じ状況)に話しかけられ、思いのほか楽しい順番待ちタイムを過ごしました。

横浜の美味しいものを色々教えてくれた、とても優しい方でした。

横浜土産はありあけのハーバー
お腹がすいた時には崎陽軒の焼売弁当がおすすめらしいです。

滞在中に2つとも食しましたが、本当に美味しかった!


ハーバーは、抹茶味とマロン味を食べてみました。
博多とおりもんに似ていると母が言っていましたが、こちらの方があっさりと上品な味でした。
そして、こちらの方が食感がしっとりとしているような。
中身はそれぞれのフレーバーが練りこまれたミルク餡ですが、バターの香りはとおりもんの方が上かな。
どこか懐かしい、食べやすい味なので、毎日食べたいなぁ。



崎陽軒の焼売弁当は夢のような美味しさでした。
焼売も勿論美味しいですが、まず、お米。
炊いているのではなく、蒸しているので時間が経ってもツヤツヤとしていて甘い。
お米ってこんなに甘いんだなぁ…と、感動すら覚えました。
これは是非みんなに食べてもらいたい美味しさ。
自信を持っておすすめいたします。



ああ、それにしても小籠包美味しかった。


この美味しい幸せな思い出を忘れないように、ジャスミンティーをお持ち帰りしました。

最近毎日これを冷たくして飲んでいます。






餃子は頻繁に作るけれど、小籠包は作ったことありません。

皮はホームベーカリーに任せて、チャレンジしてみようかな。

明日あたり、生姜をたくさん買い込みたいと思います。

私の中の四歳は死んでいない。


阿蘇は母方の祖父の故郷で、ものごころついた時から一年に一度は行っているような気がします。


↑これは上色見熊野座神社。


目の覚めるような若草色が風に波打つさまを見ていると「帰ってきたなぁ。」と何故かこの世に産まれた時の気持ちってこんなだろうか、と思いました。
末端まで艶々として生命がみなぎっている、阿蘇の自然は非現実的な美しさがあります。

阿蘇大橋が陥落したので大津からミルクロードへまわり、ところどころ修繕中の道や建物があるねと家族と小話をしながら進んでいたら、車のメーターは振り切れそうなくらいぐんぐん上昇して、世にも美しく懐かしい色彩が目に飛び込んできました。
六月の白んだ空でしたが、島崎藤村の椰子の実さながらの気持ちで今を生きている自分には胸に来るものがありました。



名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ

故郷(ふるさと)の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)

旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる
枝はなお 影をやなせる

われもまた 渚(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)

海の日の 沈むを見れば
激(たぎ)り落つ 異郷(いきょう)の涙

思いやる 八重(やえ)の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん

歳をとった今思うのは、望郷とは、亡くなった大切な人、年をとって弱ってしまった大切な人、そういう人が元気に暮らしていたあの頃、あの場所ーもう絶対に戻れないあの時、あの場所を思う気持ちだということ。


それはすなわち私が幼い頃の思い出であり、娘にとっての今だということ。


可愛がられた記憶が多いほどに、時の流れはやるせなく虚しい。


家族が亡くなるのは辛い。

そして、亡くなった人といちばん近しい人が傷ついている姿を見るのも辛い。


草千里ヶ浜の緑は、自分が今何歳でどのような人間なのか分からなくさせます。




私の好きな佐野洋子さんの本に、こんな言葉が載っています。

「四十だろうが五十だろうが、人は決して惑わないなどという事はないという事に気がつくと、私は仰天するのだった。なんだ九歳と同じじゃないか。人間は少しも利口になどならないのだ。私の中の四歳は死んでいない。雪が降ると嬉しい時、私は自分が四歳だか九歳だか六十三だかに関知していない」
ー神も仏もありませぬー


波のように揺れ動く草千里ヶ浜の緑に浸りながら、そのような事を思いました。

文化的回帰

久しぶりに、娘の大好きなロッタちゃんのDVDを観ています。



ロッタちゃんのおしゃまでマイペースなところに共感するのか、一度観せてからずーっとお気に入りのようです。

かんしゃくを起こしているシーンや、チクチクするセーターをハサミでめちゃくちゃにするシーンでは、見てはいけないものを見てしまったような顔をして呆然としています。

私も昔は悪いこと沢山したなぁ。

リカちゃん人形の髪を切ったり、母のドレッサーのファンデーションを顔中にはたいてみたり。

せっかく買ってもらった いちご天使 という謎のキャラの便箋を、購入後に薄気味悪く感じてソファーの後ろに隠したり…


私も娘も映画鑑賞が大好きで、色々借りてみたり購入したりしていますが、娘がいちばん好きな映画は今のところネバーエンディングストーリーらしいです。

かの有名な、原作者エンデが激怒した第一作のアレです。

娘はとにかくファルコンが大好き。
アルタクスが悲しみの沼に沈むシーンでは『かわいそうね…』と心を痛めています。

幼心の君がつけている髪飾り?が欲しいと言うので、ビーズで再現してみましたが頭が大きすぎて入らないというオチでした。

一緒に観て思ったのですが、ネバーエンディングストーリーは私も大好きな映画なので、共に楽しめてとても幸せ。

80年代のものは、音楽にしろ映画にしろ漫画にしろホッとできる何かがあるので大好きです。

初めて知ったものでも、何故か既視感があります。

80年代といいますと私が産まれたてホヤホヤの頃ですが、フィルター越しの空気みたいなものに見覚えがあるというか…鮭やマスが生まれ故郷の川に帰ってきた時に感じる気持ちってこんなかな?と思います。
母川回帰ならぬ、文化的回帰?

私が産まれる以前のものでも、懐かしいんです。

現代カルチャーも好きですが、なぜこうもうんと昔のものを愛してしまうんでしょうね。

好きでたまらないものは、大抵80年代に才能が花開いた人の作った作品なので。

娘も、現代のカルチャーを憧憬して生きていくのかな?

もう少し大きくなったら、エンデの作品やロッタちゃんの原作も読んでほしいなぁ。

絵本の読み聞かせを頑張ろう。

おたまの学校は畝の中

久しぶりの投稿になりました。

先日、旦那と一緒に夏菊を植えるための畑の準備をしている時

畝のくぼみにできた水溜りの中に、おたまじゃくしが沢山いたので連れて帰ってきました。

むやみな乱獲はいけませんが、水が浅く、天気もよかったため、このままだと確実に干からびてしまいそうだと思ったので。

こども園から帰ってきた娘におたまさんを見せると、興味津々で大喜びしていました。

それにしても消毒剤や殺虫剤まみれの畑の赤土の中で生きているなんて、自然の力って凄い!

旦那はいつも農薬にまけてしまい腕がかぶれたりしているので、見ていて悲しくなります。

私たち人間よりうんと小さくてか弱いおたまじゃくしに見えますが、自然の生き物の力は凄いですね。

弱い個体は淘汰されるので、当たり前といえるのだけど…

便利な文明社会のなかで、人間はこれからどう進化していくのかな?



おたまさん九匹を大事に育てて、カエルに成長した暁には畑なり池なりに帰してあげたいなぁ。

本当ならずっと一緒にいたいけど、カエルになったら虫を生け捕りにして与えないといけないようなので。

カエルは生きた虫しか食べないんですね。




このおたまさんが一番成長が早い。

おたまじゃくしって愛嬌のある顔をしています。

しぐさも面白おかしくて時折プッと笑ってしまいます。

水面に浮いて、一生懸命口をパクパクさせてくるくる回りながらご飯を食べているところなんか最高に可愛い。

クリオネと見紛うような可愛さです。

それを見て娘は『口、喋ってるみたい〜!』と大喜び。


スイスイ優雅に泳ぐ育ちの良いおたまもいれば、反抗期真っ只中の暴走おたまもいます。


常に誰かと触れ合っていたい寂しがりおたまも愛くるしいですが、


いつもお気に入り?の場所で一人でのんびりとしているマイペースおたまにシンパシーを感じてしまいますね。



夜になると揃いも揃って水槽の底に沈んでジッとしているので大量死したのではないかと心配になりますが(まばたきをしないので不安になる)後ろ足もほとんど生えてきて、無事に成長しているようです。


名前をつけてあげたいけど、個体差が無いので諦めました。

苦手な方も多いようですが、おたまじゃくしって目が丸くて意外と可愛いのですよ。

妹からは『こわい…人面魚みたい。』と言われてしまいましたが。

ご飯はパンくずやかつおぶし、いりこなどでいいので買う必要はありません。

汲み置きしてカルキ抜きした水を、毎日三分の一ずつ替えてあげれば元気に成長します。


このまま無事に育ってくれるよう、祈るばかりです。

可愛いなぁ…。

娘の変化とこれからのこと。



最近の娘はけっこうワガママ。



こども園に通い始めて、初めてのことばかりで悲喜交々、前と比較して我慢することも増えたのだろうと思います。
そんな娘を見ていると、自分の小さな時を思い出して、相も変わらず切なくなったり。

お迎えにきたそばから、ワガママ爆弾を炸裂させます。

「靴、履けない。」
「歩けない。」
「だっこして。」

過度に甘やかすのはダメだけど、先生曰く一人の時はわりとお利口さんらしいので、いつもは自分の力で頑張ってるんだね、と感慨深いです。

こんな小さい体で環境の変化に適応しようと頑張っていて偉い。
幼い生き物特有の命の濃さ、強さに胸を打たれます。

この間、娘をお迎えに行った帰り道にまちじょーおっちゃんに産みたてホヤホヤの卵をもらいました。

まだほんのりと温かい卵です。





まちじょーおっちゃん、友達のM子ちゃんの親戚のとても気の良いおっちゃんです。

いつもお世話になっている、大好きなおっちゃん。


嫁入り前の娘さんのお話を嬉しそうにしてくれました。



いつの日か私の娘もお嫁さんになるのかな。



娘は雨がふる時、大好きな童謡の雨降りお月さんをよく唄います。



雨降りお月さん 雲のかげ
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
一人でから傘 さしてゆく
から傘ないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた
お馬にゆられて ぬれてゆく


いそがにゃお馬よ 夜が明けよう
たづなの下から チョイと見たりゃ
おそででお顔を かくしてる
お袖はぬれても 干しゃ乾く
雨降りお月さん 雲のかげ
お馬にゆられて ぬれてゆく

野口雨情作詞・中山晋平作曲



この童謡の詩の解釈は諸説ありますが、
その中に、作中のお嫁さんとは作詞家の野口雨情の幼くして亡くなった娘のことではないかという説があります。



ふつう、夜に嫁入りするかなぁ。

傘をささねばならないほど雨の降った夜に、どうして1人で馬にのっていくんだろう。

夜が明けないうちに急いで行かないといけない理由は…?


このように考えていると、ふつうに意味を汲み取るとどうも不自然なことが多いので嫁入りとは亡くなった娘が魂となって月へ行ってしまうことを比喩しているのでは、とそう思いました。


本当のところは作詞家本人しか知り得ませんが、もしそうであるならば、2歳で亡くなった最愛の娘の魂が無事に天上に(月に)のぼっていけますようにと祈る親心が切なくて哀しいです。


昔は医療も発展していなかったので、早くに子供を亡くす親がたくさんいたのですよね。


現代の日本は幼くして亡くなってしまう子供の数も格段に減り、戦前に比べ高齢者の寿命も驚異的に上昇しました。

最近、いろいろなことがあり、いろいろなことを考えます。

これからこの子達が大人になるにつれてどんな世の中になっていくのだろうと考えると、不安しかありません。


幸せでありますようにと願うだけでなく、実際に行動に移したいですね。


自分たち世代、それ以前の世代の重荷がこども達世代にのしかかってしまうのはどうしても避けたい。


その時になればどうにかなる

心配のし過ぎは良くない

そんなことを言ってもどうにもならないだろう



それで思考停止するのは、日常を生きるということなのでしょうか。

忙しいなかで忘れてしまったら、何度も何度でも思い出したいです。