魔女旅に出る

文化的回帰

久しぶりに、娘の大好きなロッタちゃんのDVDを観ています。



ロッタちゃんのおしゃまでマイペースなところに共感するのか、一度観せてからずーっとお気に入りのようです。

かんしゃくを起こしているシーンや、チクチクするセーターをハサミでめちゃくちゃにするシーンでは、見てはいけないものを見てしまったような顔をして呆然としています。

私も昔は悪いこと沢山したなぁ。

リカちゃん人形の髪を切ったり、母のドレッサーのファンデーションを顔中にはたいてみたり。

せっかく買ってもらった いちご天使 という謎のキャラの便箋を、購入後に薄気味悪く感じてソファーの後ろに隠したり…


私も娘も映画鑑賞が大好きで、色々借りてみたり購入したりしていますが、娘がいちばん好きな映画は今のところネバーエンディングストーリーらしいです。

かの有名な、原作者エンデが激怒した第一作のアレです。

娘はとにかくファルコンが大好き。
アルタクスが悲しみの沼に沈むシーンでは『かわいそうね…』と心を痛めています。

幼心の君がつけている髪飾り?が欲しいと言うので、ビーズで再現してみましたが頭が大きすぎて入らないというオチでした。

一緒に観て思ったのですが、ネバーエンディングストーリーは私も大好きな映画なので、共に楽しめてとても幸せ。

80年代のものは、音楽にしろ映画にしろ漫画にしろホッとできる何かがあるので大好きです。

初めて知ったものでも、何故か既視感があります。

80年代といいますと私が産まれたてホヤホヤの頃ですが、フィルター越しの空気みたいなものに見覚えがあるというか…鮭やマスが生まれ故郷の川に帰ってきた時に感じる気持ちってこんなかな?と思います。
母川回帰ならぬ、文化的回帰?

私が産まれる以前のものでも、懐かしいんです。

現代カルチャーも好きですが、なぜこうもうんと昔のものを愛してしまうんでしょうね。

好きでたまらないものは、大抵80年代に才能が花開いた人の作った作品なので。

娘も、現代のカルチャーを憧憬して生きていくのかな?

もう少し大きくなったら、エンデの作品やロッタちゃんの原作も読んでほしいなぁ。

絵本の読み聞かせを頑張ろう。

おたまの学校は畝の中

久しぶりの投稿になりました。

先日、旦那と一緒に夏菊を植えるための畑の準備をしている時

畝のくぼみにできた水溜りの中に、おたまじゃくしが沢山いたので連れて帰ってきました。

むやみな乱獲はいけませんが、水が浅く、天気もよかったため、このままだと確実に干からびてしまいそうだと思ったので。

こども園から帰ってきた娘におたまさんを見せると、興味津々で大喜びしていました。

それにしても消毒剤や殺虫剤まみれの畑の赤土の中で生きているなんて、自然の力って凄い!

旦那はいつも農薬にまけてしまい腕がかぶれたりしているので、見ていて悲しくなります。

私たち人間よりうんと小さくてか弱いおたまじゃくしに見えますが、自然の生き物の力は凄いですね。

弱い個体は淘汰されるので、当たり前といえるのだけど…

便利な文明社会のなかで、人間はこれからどう進化していくのかな?



おたまさん九匹を大事に育てて、カエルに成長した暁には畑なり池なりに帰してあげたいなぁ。

本当ならずっと一緒にいたいけど、カエルになったら虫を生け捕りにして与えないといけないようなので。

カエルは生きた虫しか食べないんですね。




このおたまさんが一番成長が早い。

おたまじゃくしって愛嬌のある顔をしています。

しぐさも面白おかしくて時折プッと笑ってしまいます。

水面に浮いて、一生懸命口をパクパクさせてくるくる回りながらご飯を食べているところなんか最高に可愛い。

クリオネと見紛うような可愛さです。

それを見て娘は『口、喋ってるみたい〜!』と大喜び。


スイスイ優雅に泳ぐ育ちの良いおたまもいれば、反抗期真っ只中の暴走おたまもいます。


常に誰かと触れ合っていたい寂しがりおたまも愛くるしいですが、


いつもお気に入り?の場所で一人でのんびりとしているマイペースおたまにシンパシーを感じてしまいますね。



夜になると揃いも揃って水槽の底に沈んでジッとしているので大量死したのではないかと心配になりますが(まばたきをしないので不安になる)後ろ足もほとんど生えてきて、無事に成長しているようです。


名前をつけてあげたいけど、個体差が無いので諦めました。

苦手な方も多いようですが、おたまじゃくしって目が丸くて意外と可愛いのですよ。

妹からは『こわい…人面魚みたい。』と言われてしまいましたが。

ご飯はパンくずやかつおぶし、いりこなどでいいので買う必要はありません。

汲み置きしてカルキ抜きした水を、毎日三分の一ずつ替えてあげれば元気に成長します。


このまま無事に育ってくれるよう、祈るばかりです。

可愛いなぁ…。

娘の変化とこれからのこと。



最近の娘はけっこうワガママ。



こども園に通い始めて、初めてのことばかりで悲喜交々、前と比較して我慢することも増えたのだろうと思います。
そんな娘を見ていると、自分の小さな時を思い出して、相も変わらず切なくなったり。

お迎えにきたそばから、ワガママ爆弾を炸裂させます。

「靴、履けない。」
「歩けない。」
「だっこして。」

過度に甘やかすのはダメだけど、先生曰く一人の時はわりとお利口さんらしいので、いつもは自分の力で頑張ってるんだね、と感慨深いです。

こんな小さい体で環境の変化に適応しようと頑張っていて偉い。
幼い生き物特有の命の濃さ、強さに胸を打たれます。

この間、娘をお迎えに行った帰り道にまちじょーおっちゃんに産みたてホヤホヤの卵をもらいました。

まだほんのりと温かい卵です。





まちじょーおっちゃん、友達のM子ちゃんの親戚のとても気の良いおっちゃんです。

いつもお世話になっている、大好きなおっちゃん。


嫁入り前の娘さんのお話を嬉しそうにしてくれました。



いつの日か私の娘もお嫁さんになるのかな。



娘は雨がふる時、大好きな童謡の雨降りお月さんをよく唄います。



雨降りお月さん 雲のかげ
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
一人でから傘 さしてゆく
から傘ないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた
お馬にゆられて ぬれてゆく


いそがにゃお馬よ 夜が明けよう
たづなの下から チョイと見たりゃ
おそででお顔を かくしてる
お袖はぬれても 干しゃ乾く
雨降りお月さん 雲のかげ
お馬にゆられて ぬれてゆく

野口雨情作詞・中山晋平作曲



この童謡の詩の解釈は諸説ありますが、
その中に、作中のお嫁さんとは作詞家の野口雨情の幼くして亡くなった娘のことではないかという説があります。



ふつう、夜に嫁入りするかなぁ。

傘をささねばならないほど雨の降った夜に、どうして1人で馬にのっていくんだろう。

夜が明けないうちに急いで行かないといけない理由は…?


このように考えていると、ふつうに意味を汲み取るとどうも不自然なことが多いので嫁入りとは亡くなった娘が魂となって月へ行ってしまうことを比喩しているのでは、とそう思いました。


本当のところは作詞家本人しか知り得ませんが、もしそうであるならば、2歳で亡くなった最愛の娘の魂が無事に天上に(月に)のぼっていけますようにと祈る親心が切なくて哀しいです。


昔は医療も発展していなかったので、早くに子供を亡くす親がたくさんいたのですよね。


現代の日本は幼くして亡くなってしまう子供の数も格段に減り、戦前に比べ高齢者の寿命も驚異的に上昇しました。

最近、いろいろなことがあり、いろいろなことを考えます。

これからこの子達が大人になるにつれてどんな世の中になっていくのだろうと考えると、不安しかありません。


幸せでありますようにと願うだけでなく、実際に行動に移したいですね。


自分たち世代、それ以前の世代の重荷がこども達世代にのしかかってしまうのはどうしても避けたい。


その時になればどうにかなる

心配のし過ぎは良くない

そんなことを言ってもどうにもならないだろう



それで思考停止するのは、日常を生きるということなのでしょうか。

忙しいなかで忘れてしまったら、何度も何度でも思い出したいです。

真央ちゃんとぴーちゃんと鼻風邪の話。



数日前に大好きな浅田真央さんが現役引退を表明しました。
いつか来る日とは思っていたのですが、夜中に速報を知り驚いて眠れなくなりました。
彼女について語り出せば止まらなくなってしまうほど、憧れてやまない素晴らしい人。




引退表明後毎日のようにテレビで放送されている、かの有名なソチフリーラフマニノフピアノ協奏曲第2番は、娘が生後2、3カ月の頃にコタツの中で眠たい目を擦り授乳しながらリアルタイムで観たのですが、感動のあまり泣いて泣いて、もう娘も泣いて、泣き腫らした目で旦那に朝からドン引きされた思い出があります。

なんという強さ、気高さ、美しさ。

以後、辛い時は真央ちゃんを想い、動画サイトで今までの素晴らしい演技を観て勇気付けられてきました。
バンクーバーオリンピック仮面舞踏会、エキシビジョンのカプリース、オリンピック後の世界選手権の、2014年世界選手権のノクターン、2015年中国杯ある晴れた日に、2016年アメリカ杯エキシビジョンのチェロスイート、大好きなプログラムばかり。

私が真央ちゃんについていちばん素晴らしいと思うところは、決して言い訳をしたり、人を悪く言わない人格の高潔さです。

人にはいつも優しく朗らかな部分しか見せず、自分には厳しすぎるほど厳しい彼女の美点を思うと、一応年齢だけは上になりますが自分という人間が恥ずかしくなります。

ルールの改悪や日本スケート連盟には思うことも色々あったと思います。
真央ちゃんがもう大会に出ないと思うと寂しいですが、これからはゆっくりと穏やかな人生を過ごせるように祈っています。
本当に本当に、今までお疲れ様でした。
真央ちゃんありがとう。





今日は娘が微熱で登園できず。
寝るときに鼻がつまっていて寝苦しそうで見ていて辛い。
町田医院に行ったあと、どうしてもヤーシチ公園とタラソの風に行きたいとべそをかくので少しだけ連れて行きました。

タラソの風は、お世話になっているOさんが近くに住んでいるのですが久しぶりにお話できてよかった!
Oさんはムツゴロウさんのように動物が大好きで、たくさんの身寄りのない犬猫を保護しておうちで可愛がっている、とっても優しくてユーモアのある、インテリジェンスなお方です。
ハーブにも造詣が深いので話していて学ぶことだらけです。

その方が飼っている猫のひとり(?)、娘が大好きなオス猫のぴーちゃんは、半年前くらいは手のひらサイズだったのに今では見るからに雄々しい立派な茶白猫になっていました。
尻尾なんてものすごく太くて、タヌキのようで私はえらいびっくりしました。
娘も衝撃を受けたようです…
唖然としていました。

お宅にまでお邪魔してしまって、すみませんでした、Oさん。




午前中は台所の掃除をしていたのですが、しみじみと、物が多いなぁと思いました。
ピカピカになったら、友達を呼んでおやつ会をしたいなぁ。
ていうか借りっぱなしの漫画を早くEに返さないと。



勿体なくてまだ一度も使っていない、福森泉さんのつのカップと豆皿。
とてもちいさくて、持ち手がつのみたいになっていて可愛いです。


福森さんは鹿児島県吉野にあるしょうぶ学園の陶芸の工房で利用者さんたちの作業支援をしながら作品の制作を行なっています。
調べてみると、しょうぶ学園の理事長さんの娘さんなんですね。
福森さんの作品は、中央町にあるINDUBITABLYや、上之園町にあるアトリエユニで購入できます。

このカップはなんとなく娘に似ている気がして購入したのですが、こういう一筆書き風の絵って昔から大好きです。

お皿にしろアクセサリーにしろ大事に大事に使って、ゆくゆくは孫におねだりされるのが夢です。



大好きといえば、今日淹れたこのハーブティーも大好きです。
少しの量でも、味が濃くてまろやかで美味しい。
アミュでよく買う阿蘇teahouseのものです。





このアールグレイ風味のルイボスティーは本当に美味しくて何度も購入しています。
新宿伊勢丹の地下は世界のお茶がたくさん揃っていて長居してしまいます。

早く娘の鼻風邪が治りますように。

片付けの話とDKあし。



私は古めかしい団地に住んでいるのですが、入居時からカビは生えてるわ収納は少ないわムカデはうじゃうじゃいるわ機密性が低いわで、手直しにとても苦労してきました。
(ちなみにムカデの駆除剤としてはサイベーレがおすすめです。結構高いですがムカデ、黒虫、蜘蛛、来なくなります。)


おおざっぱで適当なところが似ている私たち夫婦は、整理整頓が大の苦手。


なのに、わが子可愛さに負けおもちゃをホイホイと買い与えてしまうので、部屋じゅうが娘のプレイルームと化して掃除のモチベーションも上がらず、やっとこさ掃除しても収納用具と物の量が見合っていないのですぐに崩壊するという負のスパイラルにハマってしまいます。

このままじゃゴミ屋敷化してしまう〜。


親の私たちが娘がおもちゃを片付けたくなるような創意工夫をしないといけない。

ついに現実と向き合う日がやってきました。


ビフォーは撮影するのも恐ろしいので無しで。



アフター




けっこうスッキリしました。

ちなみに娘の部屋は押入れです。

使えなくなったor使わないおもちゃと使うおもちゃを選別した後、組み立て式のトロファストにしまいました。








こんな風にトロファストのかごとオモチャに百均のシールを貼ると、どこにしまえばいいのかすぐに分かります。


百均のシールは色が4色しかないので9つのかごを埋めるには足りず、新たに買い足さなければいけません。



ピンクとかオレンジみたいな可愛い色無いかなぁ。


トロファストに入らないおもちゃは上に置いていますが、これもまたどうにかしないと。

あと、はさみや色紙やクレヨンをしまうお道具箱もスッキリとさせたい。

行動に移すまでが遅く、おしりの重い私ですが、スッキリ整頓できたら気持ちがいいですね。




先週の日曜、おなじ鹿児島出身の友達のM子ちゃんと子どもたちで久しぶりに知名へ。

Mちゃん、面白くて人思いで頑張り屋さんです。
見た目は女らしいが男気があります。
そして会うたびに爪の色が素敵に変化するおしゃれさん。

ありがたいことに、Mちゃんに運転してもらって行きました。
いつもありがとう!


お昼ご飯を食べにニュートリショニストDKあしさんへ。


初来店です。


ニュートリショニストとはなんぞや、と思ったのですが栄養士のことなんですね。


電話で予約をしたら場所が分かりにくいとのことで、田皆中学校までご主人が迎えに来てくれたのでスムーズにお店まで行けました。






前菜も含め、お野菜いっぱいで美味しいです〜。
鶏ハムの塩加減が絶妙でした!
お子様ランチも美味しかった〜。

写真を撮り忘れたのですが、ガトーショコラとヨーグルトとドリンク(子どもたちの分も)がついていて1000円でした。お子様ランチは500円なので、沖永良部の飲食店の相場からいうとかなり安いのでは、と思います。

デザートはオーナーさんおすすめのスコーンもあるみたいで、今度行くときはそちらも食べてみたいなぁ。

とても広い和室からは外の風景もよく見えて、ソファもあるので赤ちゃんや子ども連れでもゆっくり過ごすことができます。

オーナー夫妻はとても優しく素敵な方々で、気持ちよく食事することができました。

ネット検索しても情報があまり無いので、掲載してくれたら嬉しいとオーナーさんから言われたので、メモ代わりに乗せておきます。





沖永良部 ニュートリショニスト DKあし
〒 891-9231
鹿児島県大島郡知名町田皆3683-6
(オーナーさん曰くこの住所をカーナビで検索しても正確な場所にたどり着かないらしいです。)
電話番号 090-4581-7496(要予約)
営業時間9:00〜16:00 ランチ 11:30〜13:30

かわいいあんよ。



お〜い〜し〜( ˆ࿀ˆ ) ♡




国頭の花農家同盟の仲間でもあり、ママさん友達でもあるC姉ちゃんにおやつを恵んでもらいました。

チャーミングな笑顔がトレードマークの姉ちゃんです。
チョコレートに目が無いので、C姉ちゃんを見かけたらぜひ与えてください。

生まれ故郷ではあまりご近所付き合いしたことなかったから、こういうの新鮮で楽しいなぁ。


娘をこども園へ迎えに行って旦那の実家に寄った帰りに倉庫とおうちの前を通りかかったら、


倉庫内作業中のC姉のお義母さんがCいるよ〜と教えてくれたので、
C姉〜!と道路沿いから声をかけてみると

はぁ〜い!とプリチーベイビーと共におうちから出てきてくれました。


今思えば、アポ無しなのに申し訳ないなぁ。
お昼寝してたかもしれないのに。

庭先で話し込んでいたら、娘がおもちゃにつられて自宅に上がり込んで勝手に遊び始めたりしたのも(TT)ごめんなさい。

あ〜それにしてもベイビーH可愛かったなぁ。
あんよなんて、しろくってムチムチなのよ。
白パンみたいなのよ。
風がふんわり吹いてきたら、にぱ〜って笑って気持ち良さそうにしていました。





さつまいもが入っていて、食感もモチモチで美味しいホットケーキ( ˆ࿀ˆ )

緑茶にしようか迷ったけど、冷たい麦茶によく合いました。

えらぶ島は、そろそろアイスの季節が始まりそうで始まらない、そんな感じ。








四月下旬に地元へ帰省するので、しいろのグラノーラ買いに大牟田まで行きたいなぁ。

おかしゃん、はなば。








桜の季節になると思い出す女性がいます。


その女性は話したことも会ったこともない方なのですが、私が生きている限り、季節が巡って桜が散る限り、忘れることはないでしょう。




だいぶ前に、Eテレの番組【100分de名著】で、石牟礼道子さんの苦海浄土が紹介されていました。


この作品は二十歳くらいのころに一度読んだことがあるのですが、家庭を持った今、改めて読んでみたいと思っていました。



去年の夏に水俣の海をこの目で焼き付けたのでより強くそう思います。


水俣病資料館は初来館でしたが、念願だった、鳩を抱く少年(※胎児性水俣病患者の半永一光さんが被写体となっている)のパネル展示を閲覧することが叶い滂沱の涙がこぼれました。


※ 胎児性水俣病妊娠中の母親が有機水銀で汚染された海で育った魚介類を摂取することにより、産まれてくる子どもが発病する。



娘、旦那と三人で来館したのですが、旦那もこの写真には感銘を受けたようでした。


石牟礼さんの言葉は、私達文明社会で生きている人間が国の発展と引き換えに失くしてしまいそうになっているかけがえのないものを思い起こさせます。

親は子を想い、子は自由にのびのびと、夫婦であるならば支え合って、人は皆他人に迷惑をかけないように最低限の努力をする。


自分なりに、これこそが人間としての在り方、幸せのかたちだと思うのですが、生きているとどうしても自分と他人の境界が分からなくなってしまいますし、そうなると自分を見失い人の気持ちを慮る余裕すらなくなってしまいます。



時に私は自分も人間であるはずなのに、人間が恐ろしくてたまらなくなります。

高度文明の発達と引き換えに、桜の花びらの彼女のような存在を生み出してしまうからです。

近代化を批判している訳ではありませんし、より便利な世の中にしようと頑張ってきた人達の努力は素晴らしいと思いますが、時として狂信的な時代の流れを振り返ってみると、その恩恵をただ享受するだけではいけないと思います。


ましてや利益を優先する余り命を軽視して責任を放棄し状況を悪化させるなど、絶対にあってはならないこと。

問題はそこであり、起こってしまった後にどう対処するかが肝心なところで、被害を最小化にする為に尽力するか否か、そこで明暗は分かれます。

過失を認めるか、問題は無い安全であると過失を認めずに有機水銀を海に垂れ流したまま放置するか。




苦海浄土には娘を持つ私には忘れられない、その女性のことが綴られています。



きよ子は手も足もよじれてきて、手足が縄のようによじれて、わが身を縛っておりましたが、見るのも辛うして。
それがあなた、死にました年でしたが、桜の花の散ります頃に。私がちょっと留守をしとりましたら、縁側に転げ出て、縁から落ちて、地面に這うとりましたですよ。たまがって駆け寄りましたら、かなわん指で、桜の花びらば拾おうとしよりましたです。曲がった指で地面ににじりつけて、肘ひじから血ぃ出して、
「おかしゃん、はなば」ちゅうて、花びらば指すとですもんね。花もあなた、かわいそうに、地面ににじりつけられて。
何の恨みも言わじゃった嫁入り前の娘が、たった一枚の桜の花びらば拾うのが、望みでした。それであなたにお願いですが、文ば、チッソの方々に、書いて下さいませんか。いや、世間の方々に。桜の時期に、花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょうか。花の供養に。



※たまがって、は驚いて、という意味です。




水俣病により、ほとんど身動きすることのできないきよ子さん。そんな彼女が、母親が少し家を空けた時、舞い落ちる花びらに手を伸ばす。でも、拾えない。さらに手を伸ばそうとして縁側から落ちてしまう。それでも、地面を這い、肘から血を流しながら、曲がった指で花びらを拾おうとする。帰宅した母親が、地面を這う娘の姿を見て、驚き、駆け寄る。


石牟礼さんはその女性、坂本きよ子さんにお会いしたことはありません。

引用したこの言葉は、石牟礼さんと交流があったきよ子さんの母親が語りかけてくれたのだそうです。

その時、きよ子さんは既に28歳の若さでこの世を去っていました。

母親は石牟礼さんに水俣病を生んでしまった企業チッソや世の中の人達に向けて、きよ子さんのような人間がいたことを記す文を書いてほしいと懇願します。


その母親も父親も妹たちも水俣病患者であり、きよ子さんが亡くなった後に両親も亡くなりました。



妹さんがテレビで語っていましたが、きよ子さんはとても心の優しい女性だったそうです。
写真も見たことがあるのですが、柔和な美しい方でした。

病に冒されほとんど身動きすることもできずに、どんなことを思いながら亡くなっていったのでしょうか。

その心境を察すると悲しくて辛くて、やりきれない気持ちでいっぱいになります。


苦悶の日々のなかに身を置きながらも、美しい桜の花びらを見て幸せを感じたのでしょうか。


花びらをつまんだそのひと時だけは、病に冒されていることも忘れ、桜の花の清廉な美しさにただただ感動していたのかもしれません。



たとえば、28歳で死んだ坂本きよ子は、口もきけず、ねじれて歩けなくなった体で、痙攣する体をあちこちぶつけながら庭に下り、頸をゆらゆら傾けて、ふるえの止まらない曲がった指で、ひとり、桜吹雪の中、散りゆく花びらをいつまでも拾うのだった。

石牟礼道子 【苦海浄土 第二部から引用】






私は、今年はとうとう桜の花びらを拾えませんでした。


桜の花が開花するという知らせを聞くたびに、桜の花を見るたびに、きよ子さんを思い出します。