魔女旅に出る

娘の変化とこれからのこと。



最近の娘はけっこうワガママ。



こども園に通い始めて、初めてのことばかりで悲喜交々、前と比較して我慢することも増えたのだろうと思います。
そんな娘を見ていると、自分の小さな時を思い出して、相も変わらず切なくなったり。

お迎えにきたそばから、ワガママ爆弾を炸裂させます。

「靴、履けない。」
「歩けない。」
「だっこして。」

過度に甘やかすのはダメだけど、先生曰く一人の時はわりとお利口さんらしいので、いつもは自分の力で頑張ってるんだね、と感慨深いです。

こんな小さい体で環境の変化に適応しようと頑張っていて偉い。
幼い生き物特有の命の濃さ、強さに胸を打たれます。

この間、娘をお迎えに行った帰り道にまちじょーおっちゃんに産みたてホヤホヤの卵をもらいました。

まだほんのりと温かい卵です。





まちじょーおっちゃん、友達のM子ちゃんの親戚のとても気の良いおっちゃんです。

いつもお世話になっている、大好きなおっちゃん。


嫁入り前の娘さんのお話を嬉しそうにしてくれました。



いつの日か私の娘もお嫁さんになるのかな。



娘は雨がふる時、大好きな童謡の雨降りお月さんをよく唄います。



雨降りお月さん 雲のかげ
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
一人でから傘 さしてゆく
から傘ないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた
お馬にゆられて ぬれてゆく


いそがにゃお馬よ 夜が明けよう
たづなの下から チョイと見たりゃ
おそででお顔を かくしてる
お袖はぬれても 干しゃ乾く
雨降りお月さん 雲のかげ
お馬にゆられて ぬれてゆく

野口雨情作詞・中山晋平作曲



この童謡の詩の解釈は諸説ありますが、
その中に、作中のお嫁さんとは作詞家の野口雨情の幼くして亡くなった娘のことではないかという説があります。



ふつう、夜に嫁入りするかなぁ。

傘をささねばならないほど雨の降った夜に、どうして1人で馬にのっていくんだろう。

夜が明けないうちに急いで行かないといけない理由は…?


このように考えていると、ふつうに意味を汲み取るとどうも不自然なことが多いので嫁入りとは亡くなった娘が魂となって月へ行ってしまうことを比喩しているのでは、とそう思いました。


本当のところは作詞家本人しか知り得ませんが、もしそうであるならば、2歳で亡くなった最愛の娘の魂が無事に天上に(月に)のぼっていけますようにと祈る親心が切なくて哀しいです。


昔は医療も発展していなかったので、早くに子供を亡くす親がたくさんいたのですよね。


現代の日本は幼くして亡くなってしまう子供の数も格段に減り、戦前に比べ高齢者の寿命も驚異的に上昇しました。

最近、いろいろなことがあり、いろいろなことを考えます。

これからこの子達が大人になるにつれてどんな世の中になっていくのだろうと考えると、不安しかありません。


幸せでありますようにと願うだけでなく、実際に行動に移したいですね。


自分たち世代、それ以前の世代の重荷がこども達世代にのしかかってしまうのはどうしても避けたい。


その時になればどうにかなる

心配のし過ぎは良くない

そんなことを言ってもどうにもならないだろう



それで思考停止するのは、日常を生きるということなのでしょうか。

忙しいなかで忘れてしまったら、何度も何度でも思い出したいです。